みぞぶちひろのじょう
文政11年 – 明治40年
1828年 – 1909年
幕末の志士。江戸の佐久間象山塾で砲術を学ぶ。後に藩の持筒役となり、砲術の指導にあたった。
慶応3年には、坂本龍馬と後藤象二郎の仲介役をした。
もとは郷士であったが、藩に認められて上士となった。
文政11年(1828年)、土佐郡江ノ口村に生まれる。諱は義直。
嘉永6年(1853年)に龍馬の江戸行きに同行。江戸では、佐久間象山塾に入門し砲術を学ぶなどした。千葉道場では龍馬と同門となる。
慶応2年(1866年)には砲術を学ぶため長崎へ赴く。その長崎で龍馬と再会した。
慶応3年(1867年)溝渕の斡旋により、後藤象二郎と坂本龍馬の会見が実現した。そして龍馬は脱藩を許され、亀山社中は土佐藩に付随する外郭機関「海援隊」となった。
明治維新後は、隠遁生活を送る。明治40年(1909年)に死去。
『龍馬伝』キャストピエール瀧