日根野弁治

ひねのべんじ
1815年 – 1867年

土佐藩の郷士・市川勇次郎の次男として生まれた。
小栗流の日根野左右馬のもとで剣術を学ぶ。
その後腕を見込まれ、子のなかった日根野家の養子となる。

弁治の開いた日根野道場には、龍馬が14歳から5年間通った。

文化12年(1815年)、土佐藩の郷士・市川勇次郎の次男として生まれました。
日根野弁治は郷士・市川家から上士格であった日根野家へ養子に迎えられており、そのためか門下生には上士よりも郷士が多かったようです。
小栗流は和術を主流に、剣術、抜刀術、槍術、薙刀などを組み合わせたものでした。しかし、江戸後期は剣術と和術の指導のみだったようです。
嘉永元年(1848年)、龍馬が日根野道場に入門。日根野弁治は龍馬の剣術の師にあたります。
龍馬は5年間道場に通い、嘉永6年(1853年)に「小栗流和兵法事目録」を与えられました。
その後、「小栗流和兵法十二箇条」「小栗流和兵法二十五箇条」「小栗流和兵法三箇条」も与えられています。

『龍馬伝』キャスト若松武史

関連リンク⇒日根野道場跡